路傍の石   

2005.03.23 有田武生

国立市の南に続く大学通りには、わりとゆったりした幅の植栽があり、自動車道と舗道を分けている。
何年か前からは、その自動車道に自転車用の道も鉢植えの植栽で区切られて出来たので、昔に比べると道路もだいぶ狭くなったものだ。しかし、その分、歩行者にとっては楽に歩ける気がしている。

私は、公共の場に石の彫刻、オブジェ、車止めなどを、彫刻家として依頼され作っていたことがあるので公共の場にある自然的なものが気になる習性を身につけてしまったようだ。
公共の公園などの設計にあたって、どうあるのが好ましいかなどの思いが私にはあり、始めた当初は設計事務所や公団、業者の考え方には理解に苦しむことが多かったものだ。
子供の頃、雑草ボウボウのはらっぱで遊んでいた私の価値観は、土と植物と石などがシンプルに存在する広場がいいと思うのに対して、仕事として金をかけるための仕事を作らないと予算を使えない公団、利益を上げる為に色んな施設や設備を作りたがる業者、などの価値観に大きな矛盾が存在したのだ。

だが、これらの事も、しばらく一緒に仕事をやって行くうちに、互いの考えに対する理解が増えて、設計も変わって行った。それは、多くの設計者も若く、理想を持つことが出来ていたからなのであろう。
ある時期になると、以前なら簡単に否定されたであろう「雑草が生えるがままの空間」まで、設計に取り込まれるようにさえなっていったのだ。
初期の頃は、私は「ほとんど何もしないのがいい」などと利潤を上げる仕事として、取りかかっている人達に対し、まさに勝手なことを言ってたものだと思う。本音としては、今もそれとそんなに変わってはいないのだが。

とにかく、コミュニケーションは大事で、全てを少しずつでも変える可能性があるということです。


現在、都会には、まず、土はない。アスファルトかセメントや石のペイブメント、あったとしても砂利を敷き詰め、踏み固めた草も生えない状態の道や空間だ。
そして、それらを保持して管理するために、木はあっても、それからの落ち葉や木の実などは、せっせと清掃され、ゴミということになってしまう。
まぁ、ゴミといっても、それらは焼却されるゴミの中で、もっとも害のないものなのだが。

私は、主に山で土に埋まったまま、風化して丸くなった玉石に出会った時、その石の持っている何億年という歴史に感じいったものである。
仕事は、それらの存在感を公共の場に、本物として居て欲しいと願い、最低限の加工でいろんな個性のある石達を置くということをやってきた。やってみて本当に判ったことなのだが、町には岩の存在が極端に少ない。

そこで、国立市の大学通りに話はつながるのだが、大学通りの大学とは国立一橋大学のことで、事実上、国立市の象徴でもある存在だ。
大学通りに面した大学の敷地には土がある。大きな木々も沢山ある。
そして、なにより絶妙に石が配置されているのだ。
私が国立市に長く住んでいる理由の一つは、明らかに一橋大学の設計にあたった造園家のセンスの良さなのだ。
構内の敷地にも森あり池ありとすばらしい空間だったのだが、近年、いろいろ建て増しが多く、随分、その豊かさが、失われてしまってきているのは、私には残念な事だ。

日々の仕事や雑用に追われ、色々なメディアを通じてニュースに翻弄され、自分の生活空間環境に思いをはせる余裕も持てない、これが現代の多数派かもしれない。
モノは溢れかえっているが何かが足りないのだろう。モノが溢れかえるということは、当然、ゴミや公害も溢れかえっているわけだ。アトピーや花粉症などは、昔はなかったのだが、子供の頃、雑誌で見た、将来の公害にまみれた町の想像図どおり、見事に人々はマスクして歩いているではないか。。

植物は生命の回転が速く、年単位で、色々な様子を見せてくれる。
枯れ葉は土になり、栄養になり次の命を育む仕組みが自然である。
四季の移り変わりが人の感性をふるわせ、文化が育まれて来たのだが、それらの変化を長いスパーンで見てきたものがあります。
それが石なのです。石も実際は育ち、風化し、朽ちていくのですが、そのスパーンたるや、人間から見ると永遠に近いものである。私は、加工された材としての石には特別な感情を持たないが、自然の野面を持つ玉石には、自然の根源的なものを観てしまうのだ。古い素晴らしい骨董の焼き物の肌でさえ、及びもつかないキャリアがそこには現れているのだから。

私にとって、石はそういう意味で、自然との交流の窓口になっているのかも知れない。散歩しながら道ばたの岩とすれ違うたび、何か大きなものを感じるのだ。エコロジーという考え方の根源に、このような長いスパーンの自然の流れに思いをはせる感性が大事かも知れないと思っている。


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